「ウダウダやってるヒマはねェ!」
「フルアヘッド!ココ」ほか 米原秀幸先生
レジェンドインタビュー

週刊少年チャンピオン誌上に大作ファンタジーの
可能性を切り拓いた生粋の冒険家!!
豪傑・米原秀幸先生、見参!!

高校生活を舞台にした青春アクション「ウダウダやってるヒマはねェ!」や、本格海洋ファンタジー「フルアヘッド!ココ」
壮絶な復讐を描いた「Dämons」など……その手で、数々の名作を生み出してきた米原秀幸先生。そんな米原先生の語る、連載の開始前に選択を迫られたチャレンジのエピソードとは!?

一年でモノにならなかったら跡を継ぐという約束

米原先生がはじめて少年チャンピオンを手にしたのは、いまをさかのぼること44年前、1974年の、ある夏の日のことだった。
「小学一年生のときでしたね。父親の田舎に帰省するために新幹線に乗ることになったんですが、そのときに母親がキオスクで買ってくれたのがチャンピオンでした」
なかでも、ブラック・ジャックには強烈な印象があるという。
「ブラック・ジャックって、ものすごくリアルに話が作られてるじゃないですか。子供ですからね、そこに描かれていることは大人が隠している真実だと思って読むわけで、あれは衝撃的でした。大人の世界をのぞいてる感じがしましたね。たぶん最初に買った単行本もブラック・ジャックだったんじゃないかな」

この原体験がもとでマンガ家を志すようになった米原先生だったが、その夢を叶えるには大きな障壁があった。
「親父が大工で、会社の名前に俺の名前をつけてたくらいですから、完全に跡継ぎとして育てられていたんです。マンガ家になりたいなんて、口が裂けても言えないわけです」
大学進学なんてトンデモない!一日でもはやく修行に入れと迫ってくる父親を「看板を描くときに役に立つから」と説き伏せ、なんとかデザイン系の専門学校入学は許されたものの、卒業後に待っているのは大工への道。追い込まれた米原先生は、ある決心をする。

「一回だけ勝負かけようと思って、言ったんです。一年だけ時間をくれ。その一年でモノにならなかったら跡を継ぐからという約束をして、広告代理店とかにイラストの持ち込みしてたんです。ところが、全然モノにならなくって、期限まであと半年となったときに、あ、オレ、本当はマンガ描きたかったんだ。じゃあ残りの半年でマンガを描こう、と」
描き上げた24枚の原稿を持って、出版社を訪ねることにした米原先生、奇しくも一社目に訪問した出版社は少年チャンピオンの発行元である秋田書店だった。

「編集者に見てもらったら、『ちょっと預からせてもらっていい?』って言われたんだけど、なぜ預けなくちゃいけないのか意味がわからないじゃないですか。不審がっていたら、『ぼくの言い方が悪かった。とりあえずデビューは約束するから』って。それが持ち込みの初日でした。家に帰って、おふくろにその話をしたら、『アンタ、だまされてるよ』(笑)。でも、結局それがデビュー作になりました」

その作品『SPRINGS』(掲載誌は『ヤングチャンピオン』)の初回が、新人の持ち込み作品としては異例の表紙巻頭に抜擢されるという華々しいデビューを飾った米原先生は、その後、週刊少年誌へと戦場を移し、『GARAKUTA』(90年)、『箕輪道伝説』(90年~92年)と着実にキャリアを積み上げ、92年に連載を開始した『ウダウダやってるヒマはねェ!』で一躍ブレイク、人気マンガ家の仲間入りを果たす。
ウダヒマ連載中に印象に残った出来事をたずねたところ、米原先生は故・壁村耐三氏(週刊少年チャンピオン第二代、四代編集長)とのこんなエピソードを教えてくれた。

「何度か飲みの席をご一緒させてもらったんですけど、あるとき、隣に座っていた壁村さんがニヤーっと笑って、こう言ったんですよ。
『お前、いまのマンガ、はやくやめろ』
なにを言ってるんだろうと思いましたよ。読者人気もあって、単行本も売れてるのに、なぜやめなきゃいけないのかって思うじゃないですか。そしたら、『お前がやりたいのはこれじゃないだろう』って。
なにかを見抜かれてる気がしましたね。だって、ぼくヤンキーでもないし、ヤンキー物が描きたかったわけじゃないんですよ。

週刊少年チャンピオン未開のジャンル『海賊物』への挑戦

そして96年9月、『ウダウダやってるヒマはねェ!』は惜しまれつつも終了。しかし、ほぼインターバルなく新連載が始まる。それが海洋冒険大活劇『フルアヘッド!ココ』(1997年~2002年)である。米原先生によれば、ウダヒマ執筆時から新作の構想はずっと練っていたとのこと。

「『宝島』と、『ガンバの冒険』(どちらも日テレ系で放送されたテレビアニメ)をあわせたような物語が描きたかったんですよ。海賊物と冒険物をあわせたようなやつがね。
『宝島』のジョン・シルバーっていうキャラは、とにかくカッコいいんですよ。なにがカッコいいかというと、主人公のジム・ホーキンズという少年にだけは絶対にやさしい。なにがあっても完璧にやさしいんですよ。ほかのものに対しては、やることなすことひどい海賊なんですけどね(笑)。そして、そのふたりを囲むのは、『ガンバの冒険』のキャラみたいな、わかりやすい名前の仲間。それをやりたかった」

だが、その構想を聞いた編集者は全員が猛反対。理由は「少年チャンピオンでファンタジー物がヒットしたためしがないから」というもの。あまりの反対の声の大きさに、一時は別の企画に変えることも考えたという米原先生だったが、転機は突然訪れる。

「当時の編集長と飲んでいて、『次、なにをやるんだ?』と聞くから、(いいや、もう言っちゃえ)と思って、『実は海賊物をやりたいんです!』って言っちゃったんですね。編集長のうしろにいた担当は目を吊り上げて、(その話はしないでくれって言ったじゃないですかァ!)って顔をして睨んでましたけど(笑)。
そしたら、編集長がポツリと、『本気か?』って言うんですよ。はぁ、まぁ、なんてあいまいに濁してたら、『オレな、海賊物とウェスタンが少年誌でできたら、もう未練ねえんだ』もうね、えーッ!ですよ。

その編集長の肝いりで、ココがはじまることになったんですけど、まあ見事にみんな大反対ですよ。絶対にうまくいくわけがないって。だけど、編集長だけは別だったんです。初回の一、二話あわせて110ページやらせてくれた(通常のストーリーマンガは20ページが基本)。それくらい本気で動いてくれたんですよ。そうなったら、こっちも腹くくってやるしかないじゃないですか」

作家あっての少年チャンピオンでいてほしい

その結果、『フルアヘッド!ココ』は大ヒット。連載終了後も続編を望む声が多く寄せられ、現在も『サンセットローズ』『フルアヘッド!ココ ゼルヴァンス』(ともに掲載誌は『別冊少年チャンピオン』)などの作品で、ココたちのいた世界が描き継がれている。

最後に、米原先生にチャンピオン50周年記念のコメントをうかがった。
「ぼくが思うことは、作家を信じて描かせてくれる雑誌がチャンピオンだ、ということ。雑誌ありき、編集部ありきのチャンピオンじゃなくて、作家ありきの雑誌がチャンピオンなんです。その伝統は変わらずにあると思うし、これからもその作り方をしてほしいと思います。
だから、50周年おめでとうございます、と言うよりも、この先50年もこのスタンスを大事にしていってほしいです。いつまでも作家あっての少年チャンピオンでいてほしいとぼくは思っています」

米原秀幸●よねはらひでゆき

日本デザイン専門学校卒業。
1989年にヤングチャンピオンにて「SPRINGS」の連載を開始し、
漫画家デビュー。その後、30年以上もの間、執筆活動を続けている。
現在も別冊少年チャンピオンにて「フルアヘッド! ココ ゼルヴァンス」
を絶賛連載中。

インタビュー・文・写真/島田文昭

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