2019.02.27

“弱虫ペダル” 渡辺航先生
レジェンドインタビュー

週刊少年チャンピオンを引っ張り、走り続ける!!誰よりもストイックで情熱的な漫画家、
渡辺先生が「弱虫ペダル」にかける熱い想いと、週刊少年チャンピオンが持つ魅力について語ってくれたぞ!!

1年目のインターハイで終わるつもりの
「弱虫ペダル」が大長編に

2008年に連載を開始。今年でちょうど11年目となり単行本は59巻に到達。さらにはアニメ、舞台、キャラクターグッズなど数々の展開をみせるまで成長した大人気長期連載漫画『弱虫ペダル』。その作者・渡辺航先生にインタビューしたところ、これほどの長編になる想定はしていなかったという。
「はっきり言って1年のインターハイで終わるつもりで描いていました。終わってから描くことがあったら描きますって編集さんには言ってました。そうしないと、自分自身ネタを残してしまう。次にこれをやろうって感じでネタを残したって、絶対に面白くない。思いついたときが一番新鮮で、伝えたいと思ったときがネタとして一番面白いから容赦なくネタを使っていきます。すべてネタを出し切って1年目が終わったんだけど、結果としてこのキャラクターたちのことについてまだ描くことがあったから『続けていいですか』って言い了承を得ました。2年目のインターハイでも描き残すことがないように、今ちょうど3日目の最終日なのでありったけのネタをぶっこんで出し惜しみせずに熱を込めて描いている最中です」

常に目の前の漫画に全力で向き合いキャラクターたちに寄り添う渡辺先生。自分の思いを誰かに託し、それを受け継ぐ「ロードレース」を題材にしたことで、次々に描きたいことが湧き出てくるようだ。
「キャラクターが力を出し切ってリタイヤするのは、ある種の死に際じゃないけど、そのキャラクターの思いを全部描いてあげたい。逆にこうしたかった、ああしたかったけれど、でもできなかった、だから頼んだよという念が残るのも人生において本当だと思う。志半ばにして諦めたけど、違う形で実現したって人生においてしばしばあるじゃないですか。だから念を残すっていうのもひとつの大事なことだと思ってます」

小さい頃から目標だった週刊少年誌。
めぐりめぐってチャンピオンへ。

渡辺先生は子供の頃から週刊少年誌を目指して漫画を描いており、中学2年生の時には、すでに賞への投稿を始めていた。
「ずっと『週刊少年ジャンプ』で10年くらいやってきたんだけど、なかなか芽が出なくて、今振り返れば単純に努力が足りなかっただけです。その時代の自分に『おまえ、もっと頑張れ』って言いたいくらい(笑)。それで、次に『週刊少年マガジン』で一生懸命頑張って、月刊誌のほうで連載が決まってデビューするんです。
それでも週刊少年誌がずっと希望だったんですけど結局ダメで、その時に『週刊少年チャンピオン』の編集さんのほうから声をかけてもらったんです。『ジャンプ』、『マガジン』がダメで次に『チャンピオン』……、三度目の正直というか、すでに講談社で月刊誌の連載を持っていたので、すぐ連載が終わろうとも週刊誌でやりたいことをやろうといった感じで気楽にやれると思ったんです」

渡辺先生にとって、『弱虫ペダル』はもちろん気合が入りつつも、どこか力が抜けた良い状態で連載が始まった。
「週刊少年誌で描くことが小さい頃からの目標でした。『チャンピオン』にたどり着くまで時間はかかりましたが、結果的に『チャンピオン』で連載できて良かったなと思っています。僕にとって非常に相性のいい雑誌でしたから。『チャンピオン』編集部自体が面白いことはどんどんチャレンジしていいよという気質なところだったので。『マガジン』はロジックで組み立てるのでネームひとつに対してもツッコミが厳しくてコマの構成の変更を要求されたりとか。僕も対応していたんだけど、結局そこではダメだったんで……。でも『チャンピオン』はすごく自由だなと思いました。自由な絵を自由な大きさで自由な表情で描けるっていうのは、これは気持ちがいいっていうのが素直な感想でした。
『チャンピオン』と『マガジン』とのやり方はどっちが正解とかじゃなく、作家さんが合うか合わないかの問題で、最終的には僕はこの自由なやり方が合っているな、自由に描けて幸せだなと思いながら描くようになりました。ひるがえって考えると、『弱虫ペダル』は『チャンピオン』じゃないとできなかった作品ではないかなと思います」

渡辺航●わたなべわたる

長崎県出身。3月9日生まれ。MTBやロードバイク、小径車など自転車をこよなく愛する生粋のサイクリスト。
『弱虫ペダル』連載を続けながら多数のアマチュア自転車レースにも参戦する。週刊少年チャンピオンにて『弱虫ペダル』、別冊少年チャンピオンにて『弱虫ペダルSPARE BIKE』、月刊シリウス(講談社刊)にて『まじもじるるも 放課後の魔法中学生』を連載している。

現に、箱根学園の真波山岳の背中から羽根が生えるシーンや、京都伏見の御堂筋翔の顔からたくさん手が出るシーンなどは、スポーツ漫画の表現としては実験的だったが『チャンピオン』では歓迎された。型にはまらない描き方や勢いも『弱虫ペダル』の魅力である。
「週刊少年誌で連載している作家にとって、1巻を見て『うわっ、絵が下手だね』、『まだ若いね』って言われるのは褒め言葉なんです。それは成長しているってことで、読者と一緒にどんどん成長していくってのが、僕が週刊少年誌を好きな理由のひとつです。『チャンピオン』ってそういう若い人をどんどん載せちゃう雑誌なので、若い熱量としては他の雑誌より遥かに刺激が強いし、漫画が本来持っている荒唐無稽、有象無象感、誰でも参入できて誰でも熱を届けることができる漫画の本来の面白さをちゃんと追及してくれているなと思っています。だからこそ僕も自分の漫画の熱を高めることに集中して『弱虫ペダル』を描いています。
僕は誰かをライバルだと思ったことがなくて、大御所だろうと新人だろうと素直に凄いと思って取り入れられるなら取り入れようとしますし、この回は誰かに対抗してぶつけてみたとかはまったくないですし、する気もないです。ライバルって言われると、その人を意識して戦わなければいけないと思うんです。僕はクオリティーを上げるために自分の作品と戦っています。誰かと戦うのはカロリー使うので、誰とも勝負する気はないし、勝負を挑まれても『はい、あなたの勝ちでいいです』ってなる感じです」

自由な雑誌だからこそ、自分で制御しつつ、
自分の世界を描いてほしい

他人を意識するのではなく、漫画家は自分とちゃんと向き合い、溜めていた感情を作品にぶつけることが本質だと語る。
「漫画家になろうと思った人に何をすればいいですかと聞かれたときにいつも言っているのは、感情をたくさん溜め込みなさいと。いろんな感情をプールしておくことで、実際にペンを持って紙に描くときに、それが価値を持つんです。それが漫画だよって。絵なんて練習すればいくらでも上手になる。体験は自分が積極的にならないとできない。行きたいけど行けなかったという思い、それも感情で、それをプールしときなって言います。
余談だけど、僕は基本的に都度ツイッターで発信することはしない。気持ちを全部発信しちゃったら、感情をプールできない。勿体ないっていつも言っているんですよね」

渡辺先生自身がいろいろな経験を踏まえた中での感情を惜しみなく表現しているのが『弱虫ペダル』であって、それが『チャンピオン』編集部の自由な気質にマッチングした結果でもある。
「週刊少年チャンピオン12号で、再掲載されているのは、総北高校恒例の1年生レース。今泉俊輔を山頂で抜く前に小野田坂道に力を与えるエピソードです。鳴子はスプリンターで山が苦手だったけど、小野田くん、君は登りが優れているから俺の思いを積んでいけ、と魂を預けるシーン。自転車競技で後ろに下がっていく奴らが精一杯やって魂を預けて、受け取った者は預けられた魂と一緒に頑張るという雛型が完成された回であり、非常に思い入れを持って描きました」

最後に、渡辺先生が感じる50周年を迎えた『チャンピオン』の魅力、その熱い思いが語られた。
「漫画家目線で言うと、自由な雑誌だし、チャンスがたくさんある雑誌なんで、どんどん描いて欲しいなと。自由がゆえに自己制御能力も要求されますが、自分で制御できて自分の世界を描きたい作家さんは『チャンピオン』に向いていると思うので、どんどんチャレンジして欲しいなと思います。読者の人たちは、その作家さんの作品を楽しんで欲しいです。『チャンピオン』って、なんか最後の未開のジャングル的な感じがします。他の雑誌は全部整理されていて方法論が確立されているのに、ジャングルを探っていきながら新種のもの凄い美味しい果実を発見する喜びのようなグレートジャーニー感が残っているので、そんな『チャンピオン』って雑誌を楽しんでもらいたいと思います」