2019.10.10

“浦安鉄筋家族” 浜岡賢次先生
レジェンドインタビュー

連載開始27年目を迎えてますますパワーアップ!!世界最強おバカGAG「浦安鉄筋家族」シリーズ!!
根っからのチャンピオンっ子・浜岡賢次先生がチャンピオンへの愛を語り尽くしちゃいますぞ!!

初めて買った単行本は『魔太郎がくる!!』

浜岡先生ー!ついに『週チャン』が50周年です! 先生が『週チャン』を読み始めたのは?
たぶん9歳くらいのときかな。

先生は1965年生まれの現在54歳です。9歳からとなると45年も読んでいることになります。
人生で初めて買った単行本は、藤子不二雄先生の『魔太郎がくる!!』の最終巻でしたよ。山上たつひこ先生の『がきデカ』がはじまったのは何年だっけ?

1974年です。
そっか。『ブラック・ジャック』はもう載ってて、『マカロニほうれん荘』はまだ始まってなかったから、
1974年に買ってもらったのがマイ・ファースト・チャンピオンだったと思う。
あの頃、クラスでも『週チャン』が一番だったよ。『がきデカ』がめちゃくちゃ面白かった。みんな(『マカロニほうれん荘』の)トシちゃんの真似してたけど、僕は(『がきデカ』の)こまわり君派だったから、すっごいムカついてたよ!

『がきデカ』派と『マカロニほうれん荘』派の対立があったんですか?
『マカロニほうれん荘』が始まったらスゴい勢いで人気になってさ。女の子とかも読んでた。オシャレだったんだよ。この世代交代の構図って、ドリフターズに似ているんだよね。それまで加トちゃん(加藤茶)が大人気だったのが、彗星のように志村けんが出てくるみたいなさ。

生まれて初めて買った単行本が『魔太郎がくる!!』だったのもビックリですけどね。いきなりホラーって(笑)。
めちゃ好きだったよ。古賀新一先生の『エコエコアザラク』も大好き。だけど、『エコエコアザラク』はいっつも雑誌のいちばん後ろに載ってて、それが悔しくて編集部に抗議の手紙を出したことがあるよ。

クレームですか?
うん。「『エコエコアザラク』は面白いのになぜ一番最後に載ってるんですか?」って。そこで小学生ながら、「一番最後に載ったマンガは翌週巻頭カラーにして全部の作品が順番に回るのはどうでしょうか?」って提案した。クレームっていうより提案(笑)。

そこまでマンガがお好きだったら、将来の夢はやはり“マンガ家”だったんですか?
将来はフランケンシュタインのメイクをする人になりたかった。テレビで『フランケンシュタイン』の映画がやっていて、フランケン大好きでさ。ああいう特殊メイクをする人になりたいって、担任の先生に言ってた。

『チャンピオン』の牙城が崩れる
まさかの『ジャンプ』愛読者に⁉

マンガ家になりたいとは思っていなかったんですか?
絵を描くのは好きだったよ。落書きみたいのは小学校からずっと描いていたし、マンガ家になると決めたのは中学生のとき。自分が思ったことをマンガにしたいと思った。

どんな内容を描かれていたんです?
ギャグだね。映画をたくさん見ていくなかで、無声映画が好きになって、それこそチャップリンの『モダン・タイムス』とかリバイバルでやってるのを観に行ったりして、それに相当、影響されました。セリフのない動きだけで笑いをとるやつね。それをマンガにしようとしてたんだよね。

実際にマンガを描き始めたのは?
中学1年のときに投稿した。だけど、描き方がよく分からないから、原稿用紙の表に1P目、その裏に2P目って描いていたんだよね。そしたら原稿がめっちゃ汚れて大変だった(笑)。1P目を描いてから裏返して2P目を描く、そんでひっくり返すと1P目が汚れてて、あわてて修正して裏返すと今度は2P目が汚れている……プロの人はどうしてんだろうと思ってた(笑)。

中学時代、読まれるマンガは変わりましたか?
当時は『ジャンプ』で始まった江口寿史先生の『すすめ‼パイレーツ』がモーレツに好きになったね。本宮ひろ志先生の『さわやか万太郎』も面白くてさ。『ドーベルマン刑事』もあったし。友だちも一気に『ジャンプ』派になったよ。あと、『ジャンプ』は月曜発売だったから、クラスで出回るのが早かったよね。一週間はクラスで話題になるけど、『チャンピオン』は金曜日(当時の発売日)だったから。あんまり話せないんだよね。 あ、ごめん、暑いからTシャツになっていい? 

あ、はい。ええっ!!!! 先生、そのTシャツ!!!!
あれ? うん? 『ジャンプ』って描いてあるな……。

ちょっとちょっと、ここはチャンピオン編集部ですよ!
あ~。もうすっかりジャンプっ子だよ(ニッコリ)。

ちなみに『週チャン』も読んでたんですよね?
読んでた。だけど、70年代の終わりから楽しみにしていたマンガが次々と終わっちゃうんだよ。『マカロニほうれん荘』も『がきデカ』も『ブラック・ジャック』も……。

浜岡 賢次 ● はまおか けんじ

1965年千葉県生まれ。高校時代より頻繁に持ち込み、1985年週チャン増刊「I’mチャンピオン」にて 「学園戦国絵巻春子」でデビュー。同年42号の「健康優良教師 住友太郎」が週チャンデビュー作。1993年から始まった「浦安鉄筋家族」シリーズは連載27年を迎えてなお大人気連載中!!

高校1年生で最終選考に残る!
部活終わりに持ち込みへ

投稿を続けていた浜岡先生の名前が一番最初にチャンピオンに載ったのは、1981年31号で発表された「月例フレッシュまんが賞」で最終選考に残った時です(受賞は惜しくも逃している)。覚えていますか?
覚えてる、覚えてる。最終選考に“浜岡けんじ”って名前が載ってたんだよ。

資料によると、のちに『アノアノとんがらし』や『ついでにとんちんかん』を描くえんどコイチ先生がこの回で受賞されています。先生と同期なんですね。
『死神くん』の先生だね。このときって高校1年生の夏だね。

最終選考に残ったことでマンガ家への道が開けた?
実は持ち込みもしたんだよ。『ジャンプ』、『サンデー』、『マガジン』、全部行ったけど、全然ダメ。それで、最後に持ち込んだのが秋田書店。今も、飯田橋の駅から歩いて来て秋田書店の看板がパッて見えたのを覚えてるよ。

初代担当の樋口(現・秋田書店社長)からは(水球部の)部活帰りで髪の毛が濡れていた浜岡先生がよく持ち込みに来ていたって話を聞きました。
頭が濡れてた時代ね(笑)。それは82~83年くらいかなあ。部活終わってソッコーで秋田書店に来てたよ。
毎週までは行かないかもしれないけど、けっこう通ってたと思う。

高校生が毎週ネームを見せに来ていたってスゴいことですよね。高校卒業が近づくと進学や就職が迫ってきます。進路で悩まれたりとかは?
マンガ家になるのは決めてたし、なれると思ってたから全然、悩まなかった。親にもそう宣言してたし、学校にもそう言ってた。結局、卒業してから専門学校には行くんだけど、マンガ家になるために行ったようなもんだからなあ。

マンガ家デビューから『浦安鉄筋家族』まで

先生がマンガ家デビューを果たすのは、1985年に『週チャン』増刊号で掲載された『学園戦国絵巻春子』です。そこから同じ年の『週チャン』42号で『週チャン』デビューを果たします。
『健康優良教師 住友太郎』ね。うれしかったよ。担当の樋口さんから電話を貰って「載るよ」って。

いくつか読み切りが載ったあと、1988年に『月刊少年チャンピオン』で初連載作『のりおダちょ〜ん』がスタートします。
壁村編集長から月刊で結果を出せば週刊連載をさせてやるって言われて頑張ったんだよね。

その結果、『のりおダちょ〜ん』はうまくいき、いよいよ浜岡先生は『4年1組起立!』で週刊連載をすることになります。
『4年1組起立!』が決まったときは超うれしかったよ。夢みたいだったもん。そのときの編集長は岡本さんかな(『浦安』の王様のモデル)。大変だったのは、急に週刊連載が決まったから、アシスタントを集めたり、体制を作るのが大変だった。スゴい短い時間でいろいろ整えた気がする。

その当時の『週チャン』は板垣恵介先生が『グラップラー刃牙』を始められ、曽田正人先生が『シャカリキ!』、米原秀幸先生が『ウダウダやってるヒマはねェ!』をスタートさせたりと、カラーがグッと変わる頃です。浜岡先生が『4年1組起立!』から『浦安鉄筋家族』を始められるときは?
当時の岡本編集長に飯田橋の居酒屋に連れていかれて「もっと面白いものを描いてくれ!」って言われた。打ち切りみたいな経験ってその一回しかないけど、「わかりました」って。

先生としてはもっと『4年1組起立!』を描きたかった?
描きたかったね。だけど、岡本編集長が、気持ちを次に切り替えられるように上手に後押ししてくれたよね。だから、『浦安鉄筋家族』はノッて考えることができた。

新しい作品への切り替えは、想像するだけで大変そうです。
うん、『浦安鉄筋家族』を始めるまで3か月くらいかかったんじゃないかな。自分のなかで全然ダメで……というか連載が始まってもしばらく上手くいかなくて……ようやく手応えを感じたのが春巻初登場の回。だから3巻の頭だね。

まさにターニングポイントになった回なんですね。
そうだねえ。あと、『浦安』の連載前に結婚して、そのあと子どもが生まれたのも大きい。そこから大鉄が動くようになったから。たぶん父親になったことで、視点が変わったんだと思う。裕太の手の描き方とか。

年を重ねることで作品にも変化があったんですね。
まさかこんなに長く連載が続いて自分が大鉄の年を超えるとは思わなかったけど(笑)。『浦安』をはじめたのが28歳で、今、オレは54歳。大鉄の年齢設定は43歳だからさ(笑)。

『浦安鉄筋家族』27年目突入!!
まだまだ『週チャン』と共に!

長きに亘り連載をするなかで先生自身が変わったこととかありますか?
編集さんと飲みに行くようになったくらい。それまでは一緒に飲みに行くことは少なかったけど、最近はよく飲みに行くね。あとは、若い頃より描くスピードが落ちた。集中力が持たない。それ以外はずっと一緒。

お話を聞いていると本当に浜岡先生と『週チャン』は兄弟のように共に過ごしてきたことがわかりました。
『週チャン』へのメッセージをください!

ずっと続いてほしいよね。オレか『週チャン』か、どっちが先になくなるかじゃない?

長嶋茂雄さん的にいうと、『チャンピオン』も『浦安鉄筋家族』も永久に不滅です!
いや、こっちはあと4年くらい……。

何、言ってるんですか! まだまだですよ!
無理だよ~(笑)。まあ、それはそれとして、チャンピオンはやっぱりギャグが強い雑誌でいてほしいから、若いみなさんは漫画賞にもっとギャグを送ってきてください。ギャグを読みたいです!